平成19(2007)年3月3日発行
函館北高等学校 閉校記念誌 「ありがとう北高」より転載
「ありがとう北高」開校記念誌発刊に寄せて
北海道函館北高等学校 学校長 小島修二
「閉校」ではなく新しい出発です。北高は「統合校」として永遠に「市立函館高等学校」の中に息づくのです。だから「さよなら北高」ではなく「ありがとう北高」なのです。
今年で四十四年目をむかえ、卒業生も一万人を超え、第一期生は六十歳を目前にして社会のリーダーとして家庭でも大きな一つの仕事を終える時に、北高はまた新しい出発をするのです。
開校当時の昭和三十八年は、戦後のベビーブームに生まれた世代が中学卒業期を迎えた時でした。それに対応するために函館市民の強い希望と熱意のもと、市当局の英断によって「市立函館北高校」が誕生しました。エネルギーの固まりであった草創期の生徒、教職員や関係の方々の努力によって、学校が活気づき、そして飛躍し、新しい文化が生まれ次々と引き継がれてきました。文武両道を目指す学校として、今まさに充実期の真っ只中で大きな期待が寄せられていました。しかしながら、時代の流れの中、開校以来の歴史にビリオドを打ち、新しい飛躍に向けて歩み始めることとなったのです。
第四十四回校内マラソン大会が東山を巡るコースで多くのお手伝いの保護者の方々に支えられて無事終了しましたが、開校当時から見ると予想もできない交通量でした。親子二代に渡って同じコースを走るマラソン大会、北高祭の神輿行列、フォークダンスなど開校以来の多くの積み重ねが「北高らしさ」を生み出してきました。最大一学年六クラスの中規模校が幸いしアットホームな学校として、生徒も教職員も気持ちよく校内で挨拶も交わせることが校風として息づいてきました。
記念誌の編集作業を同窓会やPTA、本校教職員と共に行う中で、開校当時の写真や新聞記事、草創期の広瀬龍一校長や諸先輩方の「思い出の記」などを読ませていただき、「学校づくり」への並々ならぬ意気込みが伝わり震えさえ感じました。全校あげて校舎周辺に植樹された樹木にエゾリスが宿り、クルミが沢山の実をつけ、大きなホウノキが葉っぱを広げています。二十周年記念事業で建てられた「北高会館」は生徒の朝講習や土日の模擬試験会場、部活動の顧問会議、PTAの会合、茶道部の活動場所など北高になくてはならない施設です。また三十周年記念事業の「ひよしの会館」は素晴らしいトレーニング施設として連日部活動に活用され、合宿施設も連休や長期休業中にはやりくりが大変なほど賑わっています。このように学校の環境整備がされたお蔭で、生徒が充実した高校生活を過ごせてきたことに感謝申し上げます。
日吉が丘の地のモダンな赤いベルトをした三階建ての校舎からは、新しくなった五稜郭タワー、函館山、蒼き巴湾、遠くは松前半島の山々も見られます。こんな函館が一望できる校舎ともお別れです。
この「ありがとう北高」開校記念誌が、本校の歩みを振り返り、同窓生をはじめ関係者の皆様方の「心の宝」となって息づくことを願っています。
最後に、この記念誌の編纂にご協力をいただいた方々及び編纂にご苦労された記念誌編集部の皆様に心から感謝申し上げます。
