函館北高の開校初年度に芸術教科担当として赴任し、11年半に渡って北高の礎を作り上げた寺中哲二教諭が、3月9日(日)午前1時57分、急逝されました。
北高での在籍期間は、開校した昭和38年[1963年]4月から昭和49年[1974年]9月までの間で、音楽の授業を担当しつつ複数の部活動の顧問としても活躍されました。
中でも、北高の代名詞のひとつである吹奏楽部(後の吹奏楽局)の基礎を築きあげた功績は高く評価され、その後に赴任した北海道教育大学函館校の吹奏楽部でも指導者としての手腕を存分に発揮されています。
北高での部活動担当は下記のとおりです。
音楽クラブ 昭和38年[1963年]~昭和43年[1968年]
映画研究クラブ 昭和39年[1964年]~昭和42年[1967年]
吹奏楽部 昭和42年[1967年]~昭和49年[1974年]
放送部 昭和41年[1966年]~昭和47年[1972年]
このほか、校歌や応援歌、創立十周年の記念曲の作曲も手がけられました。
校歌
昭和39年[1964年]3月4日に歌詞案ができ、職員会議で吟味し、後日寺中教諭がこれに作曲して、同年6月4日、校歌制定のはこびとなりました。
応援歌
応援歌らしきものがなかったので、昭和42年[1967年]頃3回生のある男子生徒が自ら詞をつくり、その後寺中哲二教諭がそれに曲をつけました。
十周年賛歌
創立十周年を記念して作られた「十周年賛歌」も作曲されました。作詞は浅見祐治教諭。
同窓会事務局に残っていたアルバムを探し、昭和46年[1971年]3月の卒業アルバムの中で見つけた北高在籍当時の写真を皆様にご覧いただきます。
アラフォー(?)の寺中教諭の姿に当時を懐かしむ同窓生も多いかと思います。
寺中教諭、どうぞ安らかにお眠りください。